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友人に触発されて取得した大型免許だが、なかなか生かす機会がない。7m級までならレンタカーがあるから、バスを運転するためにツアーを組んだことは既に書いた。
だが、やはり、普段から利用しているような大型バスを運転したい。合法的に、大型バスを個人で好きなだけ運転するためには、キャンピングカーなどに改造されたバスを自ら所有するのが現実的だ。雑誌を購入して、あれこれ検討したが、値段が高すぎる。維持費もすごい。
2002年の5月頃から、家族が増えたことで手狭になっていた自宅の引越しが懸案になっていた。私の趣味の資料は膨大で、これ以上収納場所を確保するのは無理だった。
実は、幼い頃から自宅の庭に廃車のバスを置いて、これを趣味室及び倉庫として活用するのが夢だった。だから、それを条件にして新築用地を探し始めた。必然的に広い土地が必要で、かといって予算は限られており、場所は郊外に求めるしかなかった。郊外はなかなか平坦地がない。道路も狭い。2か月ほど不動産屋と共に物件を回った結果、ようやく巡り合った。ここにバスを置き、家を建てようと思った。金額等の交渉を終え、売主との現地立会いも済ませ、不動産屋に購入依頼書を出した。
そんな時、インターネットオークションでキャンピングバスが売られているのに気付いた。バスはわずか25万円。車検の残りもあり、自走して持ち込むことができる。ただし、出品地域は青森県。
私は、思い切って出品者と連絡をとり、落札者がなかったら、購入する旨の約束を取り付けた。
落札者はなかった。購入を心に決め、実車確認と陸送のために、高速バスに乗ろうとしていた時、不動産屋から電話があった。「土地の登記が混乱しており、所有権移転は困難なことが判明した。権利関係を整理する必要があるが、権利者が死亡しており、相続人6人のうち1人は海外にいる。6人の交流はほとんどない。年の単位で時間がかかるかもしれない。」もう、バスを買うことが決まってしまっていたから、後には引けない。
とりあえず、分かったとだけ返事して、バスを取りに青森に向かった。バスは、自分にとっては極上品だった。なにしろ、倉庫にするつもりで買った車である。青森から鹿児島まで思う存分運転して、十分楽しんだ後は、そのまま倉庫にすればいい。それで25万円なら安いものだろう。
弘南バスの整備工場でエンジンルームのチェックを受け、気持ちよく青森を出発。鹿児島まで、バス趣味の友人を代わる代わる乗せながら、4日間のドライブ。初めて走る道で長さ10.6mの大型バスをこれまた初めて動かした。人生1度くらい、人にあきれられるほどの大冒険をしたって、バチは当たらないだろうと思った。
さすがに不安だったので、大型2種を持つ友人に同行してもらっていたが、敦賀ではじめて「ワンマン」運転になった時には、緊張で体が震えた。トイレに行きたくても止まる場所が見つからず、泣きそうになりながら、それでもなんとか無事故で走った。旅費を抑えるためにほとんどが一般道の走行で、宿泊は「キャンピング車」であることを生かして車中泊。
途中福岡では、J-BUS九州の仲間と試乗会もした。福岡ドームの駐車場にバスを置き、その夜は寿司屋で大宴会もした。
翌日無事、鹿児島に着き、バスは車庫に収まった。が、この土地はまだ私のものになっていない。
車検が残っているのはあと2週間。土地の所有権移転ができる見込みはなかった。
所有権の移転を求めて、私はそれから約1年間待った。バスは、その土地を購入することを前提に、無料で置かせてもらうことになっていた。
ある日のこと、バス趣味の友人パンダさんがやってきて、ナンバー付けようよ!と言う。
ナンバーは外していたものの、週に1度はエンジンをかけ、月に1度は敷地内を移動させ、いつでも動ける状態に保っていた。パンダさんは、もとバスの整備士だ。最初は冗談半分に思っていたが、そのうち、簡単にナンバーが取れそうな気がしてきた。
仮ナンバーを取得して車検場へ。もう2度と公道を走ることはないと思っていた私のバスが、生き返るかもしれない。車検場ではパンダさんがどんどん事を進めていく。なんと、全ての検査を1回でパスし、車検場に着いて2時間後にはナンバーが付いた。受検したこちらが驚くほどの、あっけない検査だった。
かかった経費は、事務手数料と保険、そして税金。あわせて20万円ほど。たまたま近所に見つけた民間車検場に交渉し、日常の整備を受けられるように約束も取り付けた。そこの社長はもと名鉄の整備工で、バスを見て懐かしいと言い、いつでもおいでと笑ってくれた。
晴れて私のバスは、あこがれの「自家用バス」としていつでも運転できる状態になった。指宿や山川、枕崎、野間池、串木野、羽島、川内、志布志、大崎にも行った。吉松や、峠を越えて人吉にも行った。バスは定期車エンジンながら力があり、国道10号の亀割坂を4速で上がりきるほどだった。
しかし、やはり経費がかかる。土地の所有権移転の問題は解決しない。
ある日、ふとこの車をオークションに出したら、いくらぐらいの値がつくのだろうと思い立ち、半分冗談で希望落札価格を80万円にして出品してみた。25万円で買った車だ、まさかそんな価格をつける人はいるまい。
ところが、落札されてしまった。
ナンバーを取得してから、わずか2か月足らずで、私のバスは手を離れることになった。なんだか、ほっとするような、寂しいような、不思議な気持ちだった。バスがなくなったことで、複雑な権利を抱える土地にこだわる必要はなくなった。もう、大型バスは十分堪能したから、小型バスで楽しむぐらいでもいいと思うようになった。
そして、私は家を新築することにした。土地は全く別の場所を見つけた。ただ、バスが置ける条件にはこだわり続け、結果、7m級のバスが置ける庭を確保した。いつか、再び自分のバスを持つ日が来るのだろうか。外野は色々騒いでいるが、もうしばらく、夢の中に置いておきたい。バスは乗ろうと思ったら、自分で買ってしまえばいい…なんてことに気付いてしまったから。

札幌ナンバーのまま枕崎駅前に到着。大型バスのドライブは楽しかった。

鹿児島ナンバーに変更。型式は日産ディーゼル P-U32L/富士 1986 |
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※新しい土地
バス停から徒歩1分。幹線道路からは入り込んだ閑静な場所。南向きで、桜島を遠望。南側が道路で6m幅の鹿児島市道に50m接し、道路向かいの土地はさらに3mほど下がっている。日当たり良好。バスなら10台は並べて置ける…。これよりほかにないという絶好の土地だった。
※弘南バスの整備工場
バスの引き渡しは五所川原市内。エンジンは快調で、一発始動。オイル漏れはみられず、クーラーエンジンともバッチリ。ただ、ベルト類のゆるみが若干見られたため、工場へ念のため入場。
飛び込みの我々にも快く応じてくださり、「また来てくださいね〜」と、粗品のタオルと共に送り出された。結局、ベルトの調整3本分で\3,000也。
※極上品のバス
倉庫にするつもりだったので、板バネ、折戸は必須条件。窓の開閉ができるのも好都合。
走行距離は、なんと13万キロ足らずで、エンジンは新品同然。へたり感はまったくなく、高速道路を100km/hで走っても不安はなかった。富士重工製の5Bボディーはサスとのバランスもよく、板バネを感じさせないいい乗り心地だった。
これだけ条件が揃うと、さすがにナンバーを付けてみようかという気にもなる(笑) |